
市川竹女 (いちかわ ちくじょ)
1925(大正14)年〜2005(平成17)年
青森県東津軽郡奥内(おくない)村生まれ。
戸籍名 市川キエ 通称きよ
幼時、ボサマの 吉田勝蔵に預けられ(2歳ごろからか)、以後ボサマの門付けに連れられて歩き、
唄・三味線のボサマ芸を自然に身につけながら育てられた。
11〜12歳ごろよりボサマ佐藤茂助・みえ父娘を師として津軽と南部の諸芸を幅広く身につけ、
その後独り立ちしてボサマの娘たちを引き連れ、北東北、北海道と稼ぎ場を求めて芸披露行脚の旅を続けた。
戦後すぐ民謡名人成田雲竹の高弟高谷左雲竹に出会い結婚。1957年(昭32)、共に東京に出たが、
ほどなく左雲竹と離別、台東区浅草で津軽の唄・三味線の師匠として自立。
以後ほぼ半世紀を師匠としての姿勢を貫き、弟子養成に力を尽くす。海外公演なども多い。
1967年成田雲竹、高橋竹山、両師より「竹」を頂いて「市川竹女」となった。
2005年(平成17)9月30日 浅草の自宅で急逝。80歳
市川竹女は成田雲竹の志を継ぎ津軽の唄を伝えるのに力を入れる一方、
女性でかつ目明きの身で、ボサマ芸を根とする津軽の三味線を受け継ぐ最後の人となった。
『竹女ぼさま三味線をひく』
野澤陽子著 津軽書房(2006)
著者野澤が、市川竹女から「今のうちに ボサマのほんとのことを書いて
おいてくれ」と頼まれたことから生まれた本。竹女の人と芸、ボサマの生き様、
ボサマの三味線について、竹女の遺言ともいうべきことがらをさまざま織り成した評伝。